HS Cのわたしへの対応①
スピ好きゆるりです。
前々回の記事で触れましたが、わたしは両親の離婚後紆余曲折あり、母の叔母に預けられることに落ち着きます。
わたしは、良い子にしていなければイケナイ、お母さんと会えないんだよ、という刷り込みは既にこの時点で形成されていました。
これもその後のことにすごく関わってきますが、それはまた別の機会にします。
この時点で4歳。
普通であれば幼稚園なり、保育園なり、同じ年頃の子と過ごす時期でした。
母の叔母、以下おばあちゃんと書きますが、
体力的にも、預けた方が楽に決まってます。
0歳保育から始めて、保育園ではただ辛かったわたしでした。
おばあちゃんは、わたしを良く見ていたのでしょうね。馴染めない子、というのを見抜いていたのでしょう。
おばあちゃんの、わたしへの対応
①幼稚園、保育園には、入れない
②同年代の子どもと、遊ぶ機会を特に作らない
③感覚過敏なことを理解して、わたしが好む心地よい生地の服、デザインのものだけ選ぶ
尚且つ、同じスタイルのものをおばあちゃんが手作り
④同目線での会話や、大人の話を聞かせる
⑤絵本を読み聞かせたりせず、自由に好きなように没頭させてくれた
⑥手先が器用なのを見て、編み物を教えてくれた、最初だけ指導、あとは自由にさせてくれる
⑦針仕事も教えてくれ、ハギレをもらい見よう見まねで、人形の服作りをさせてくれた
着せ替えごっこを1人で妄想の中で出来る、、ゆるりワールドには心地よい
⑧お昼寝の強制もない、添い寝もしない
⑨一般常識や礼儀についてはきっちりと躾をする
⑩静かな時の流れ、混んでいる場所には連れて行かない。
11.刺激的な音は立てない、日々ルーティンな安心する生活の繰り返し。
12.想像力の豊かさ、感性の豊かさ、文字への興味を見抜き、4歳にして、、はだしのゲンなども無理にではなく、読めるようにしてくれた
13.早く、みんな、という言葉は使わない
14.味覚にも敏感なわたし、この当時お醤油も使うのも嫌いだったが、あえて強制もせず。
生卵は、そのままでもいい、とコップで飲んでも許されるくらい。
食感が苦手なモノは、何が嫌なのか拙いことでも聞いて調理を工夫、食べられなければ他で栄養をとればよし。
こうまとめると、放任のようにも感じるかもしれませんが、ゆるりらしくいられた時期です。
全くもう、とか、なんでお前はこれがダメなの?とか、お友だちはできるよとか、比較もしない。
それまでは、どこにいても常に人の顔色、気配を伺っていました。おばあちゃんとの生活は、繊細すぎるわたしにも、しっくりして、無理することがなかったように思います。
躾には厳しかったけれども、それに対してあれこれ考えることはなかったです。
わたしのことを思ってしていることだとわかっていました。
これだけでも、親と暮らせない、という寂しさはありつつ
いつも叱られていたわたしには、とても楽でした。
おばあちゃんにとっては、育てにくい子ではなく、
預かっていてもうるさくなく、一人暮らしのおばあちゃんの生きがいになっていたのかもしれません。
人生経験の成せる技だったのかもしれません。
もちろん、躾の時は、厳しかったですし、叱られることはありました。
でも、理不尽な理由ではなく、きちんと理由を説明した上のことなので、ビクビク顔色を伺うということはなかったです。
集団生活しなかったんだー、可哀想、、、
外遊びほとんどしてないんだー、と思われるでしょうが、
外的刺激を避けた生活が、わたしには合っていたようでした。
続く