HSC小学生になる〜母の再婚
スピ好きゆるりです^_^
HSCのゆるりが小学生になるにあたり、母親が再婚します。
一緒に住むようにもなりました。
学校はマンモス校でしたので、常に刺激がいっぱい。
口で言えないが故に体に不調が出て、小学一年の時は、
一年の3分の1くらい欠席でした。発熱と呼吸器系が主です。
授業時間も、周りがうるさいので疲れてしまいます。外で遊びましょう、も然りで、いつも図書室にこもっていました。
こんなことを言うのも烏滸がましいですが、授業がとても幼稚に感じてしまい。
授業より先の部分を読んだり解いたりしていました。
給食の時間は、いじめのターゲットになるので苦痛でした。
人は本能的に異端を弾こうとするんだなと、わかりました。
遠足のお弁当も、仲良しさんで食べてねー、と言われても。
1人で食べていて、その写真を母が見ては、なんで1人なの!仲間に入れてもらわないの!と叱られました💦
お友だちになれた子は、嘘つきでした。そうと知りながらうわべ笑顔で付き合っていました。
この小学校の方針だったのでしょうが、月に一度、レクリエーションを披露する、というものがあり、家が近い順にグループ分けをされ。
学校から帰宅したあと、順番でグループの家に行き練習をするのです。
苦痛以外の何者でもなく、そこでもいじめに遭いました。
泣いていても、その家のお母さんが助けてはくれません。
例えば片足で両手を広げたまま、ずっと立っているように命令され、足をついたら叩かれたり、ケツバットされたりとかですね。
練習はレク前の2週間は、毎日です。サボったらさらに報復が待っているので仕方なく行きます。
そして帰り道、ポロポロと涙をこぼしながら家へと向かう、そんな日々でした。
冗談を言われても、その裏の裏まで考えてしまい疲れます。
先生の声のトーンから、イライラも伝わってきます。
繊細なわたしのアンテナは📡いつも緊張していました。
よく叱られ、なんでできないの?みんなできてるよ!と自己否定される言葉は日常茶飯事でした。
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そして、家では再婚した新婚カップルがいます。
両親共働きだったので、2人が帰宅するまではほっとする時間でした。
帰宅すると、2人の顔色を見ながら生活しています。
あのね、今日ね、などと言う話はしたことがないですね。
近くに児童館があり、図書室が充実していたので、そこがわたしの安らぎの場所。
誰からも叱られない、邪魔されない。
管理の方がいたのですが、大変親切で、
この方が、いつも偉いね、とか新しい本があるよなど声をかけてくれました。
夕暮れになっても帰らないわたしを、自室に呼んで、ご夫婦でおやつや、温かいお茶をご馳走してくれました。
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ただでさえ環境変化に弱いのに、入学、鍵っ子、再婚、新しい生活は、刺激が多すぎました。
小学校半ばまでは母も良く学校に呼び出されては、わたしは叱られていました。
みんなと行動できないことが主だったと思います。
が。
1人の先生が、母に告げた言葉が、母のこともわたしのことも少し楽にしてくれました。
そのことば
ゆるりさんは、集団に馴染めないのではなく、
精神年齢が大人すぎて
同年代の子と過ごすことが辛いんだと思います。
同年代の子が幼く感じてしまう。
それと、文章などを見るととても感受性が豊かです。
周りの子がゆるりさんに追いついて、うまくいくようになるのは、早くて高学年。
中学でも難しいかもしれません。
けれども、お母さんの育て方に問題があるわけでもない。
ゆるりさんの個性なので、本人らしくいられる場所が図書室や、本の世界ならそれで良いと思います。
いずれ周りも追いついてくる。ゆるりさんも自分との付き合い方をだんだんわかってきますよ。
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まさにその通りで、その先生はよく、わたしのことを見ていたんだと思います。
グループ分けをする時も、かなり考慮してくれていました。
作文や、音読の得意なわたしをみんなの前で褒めてくれて、お手本にしましょうね!などと言ってくれました。
子供って単純なので、それだけでも、少しずつ、打ち解けようとする子ができてきたのでした。
そして、わたし自身も、休み時間1人ではありますが鉄棒の練習などすることが多くなりました。コツを掴んだら、バランスが良かったので、回転などもできるようになりました。
また、体育は苦手でしたが、バレエのおかげで柔軟性はあったので、マット運動、平均台などは得意でした。
結局、小学校時代はいじめのターゲットが多かったですが、六年生くらいになると、どちらかと言えばリーダー的存在になっていきました。
占い🔮などに興味を持ったのは、四年生くらいでしょうか。
この頃からスピ好きへの道へと繋がっていたんだな、と思います。