ゆるっと冴えてます

育児は育自、ポケモンゴー、HSC、HSP のこと、心療内科のこと、オラクルカードリーディングでスピリチュアルアドバイスにハマってます♡雑談あり、不思議体験、時事問題、なんでも思いつくままに綴っています

子どもがいじめにあった時〜中学校編②

スピ好きゆるりです^_^

 

前記事からの続きです。

 

法務局

 

ここまで来たらもうドンと来いです。

 

法務局に電話して事情を話しました。

 

すると、なんということでしょう←before、afterのマネ

 

「緊急度が極めて高いため、本日の午後、有識者を呼ぶので、来てください。」

 

私も大抵のことは、驚きませんが、

法務局(=゚Д゚=)Σ⊙▃⊙川

 

正直、あまりご縁のない場所です(^_^;)

 

しかし、とにかく藁をもすがる思いで、親子して法務局へと向かいました。

 

法務局では、まず担当者と面談をして、事実関係、学校側の対応、現在までの状況等を説明。

 

そこに、有識者=定年した校長先生が、合流し、A4サイズノートに、沢山のことを書き綴っていきました。

 

その元校長先生ご自身もひどいいじめにあったことがあり、涙を流しながら話を聞いてくれました。

 

そして、

「その子たちは決して許されない。人権侵害をしている。人には皆、生きる権利もあり、あなたの、人権は保護されなくてはなりません。」

 

毅然と仰いました。

 

そして、本当に、不当ではあるが、登校日数とはなっても、教室に行けない限り、評価が落ちるというのが、現実(´;Д;`)

 

そして、今後の対応策としては、学校に再指導を行うこと、

決して、我が家はモンスターペアレントなどではなく、学校側に批判をするわけではないこと。

スクールカウンセラーとの連携も行うこと。

 

いじめ首謀者との保護者面談を行うことの喚起。

 

更にうちの要望によっては、

法的措置の一環として、法務局側から、生徒指導講演の実施や、指導者を送る、などもできること、

 

などが提案されました。

 

4時間ほどお話ししたでしょうか。

 

法的措置については、まだ実施しないで欲しいとお願いをしました。

 

いつでも、できるので、ご一報ください、

今回は、学校側への再度指導のお願いと、スクールカウンセラーへの報告等を行います、とのことでした。

 

話し終えた我が子と見た夕陽の眩しさは、今でも忘れられません。

 

その後ですが、、、、

 

いじめ首謀者は、知らぬ存ぜぬ態度でしたが、親も呼ばれこってりと絞られた模様。

 

担任や、他のクラスの担任から、我が子に決して話しかけないこと、近づいてもならないこと、などを徹底して指導してくれたようです。

 

また、休み時間は、先生方が交代で、我が子に声をかけたり、クラスの正義感のある子どもたちに、囲まれるように配慮してくださいました。

 

担任は常に

「いなくていい人は世の中に一人もいない。みんな大切な命なんだ」

と言い続けてくれました。

 

「簡単にウザ!死ね!などと言うな!」

 

そうやって少しずつ教室へと復帰することができました。

 

小学校時代のいじめと違ってかなり大掛かりなことになりましたが、

 

担任へ相談→学校側との相談→保健室登校不登校教室+相談員+スクールカウンセリング→市区町村の、教育相談窓口→児童相談所→心の健康相談窓口(仮名)→小児科診察→心の健康相談窓口(仮名)→法務局→学校への再指導

 

という経路を辿りました。児童相談所は、正直、まぁ、そういうところなんだろうな、というのが実感でした。

 

ネグレクトや虐待などで苦しんでいる子どもたちがいるわけですし、、、

若干、お役所のたらい回し感はありましたが、結果的に良かったと思います。

 

法務局というところは、人権保護のためにも存在しています。

 

また、相談の際に言われたのは、警察に相談しても良い案件である、ということでした。

 

たかが、いじめ、悪口じゃん、ゆるりの子どもが弱っちぃだけだよ、そのくらい突っぱねろ、という方もいると思います。

 

事実はもっともっとありますが、大まかなことを書いているだけです。

 

子どもが弱いのかもしれません。

 

対抗できなかったかもしれません。

 

しかし、小学校でのトラウマを抱え、同じ子たちからいじめを受ける恐怖は、想像に難くないと思います。

 

子どもの命には代えられません。

親は何に代えても子どもを守らなくてはならないと思います。

 

ああ、味方がいる、大事にされているんだ、という安心感があって、逃げ場もあったなら、いじめ自殺は減るかもしれません。

 

もちろん、社会勉強のために、多少のトラブルは黙って見守る時も必要ですが、

 

本人が苦痛を伴った時点で、いじめと認識するわけです。

 

これは、HSCだから、というわけではなく、いつ、誰がターゲットになるのかはわからないこと。

 

長々と書きましたが、いじめにあった時、我が家は、こういう経路を辿りましたよ、という記事が、参考になれば幸いです。

 

無事に卒業先を迎え、笑顔だった我が子を見て涙が止まりませんでした。

 

卒業生代表として、旅立ちの日に、の伴奏もさせていただきました。

 

ノーミスで心に響くいい演奏が聴けたのは、親子で乗り切った時期があったからこそかな、と思います。

 

未だにこの曲を弾かれると涙が出てしまいます(´;Д;`)

 

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https://youtu.be/U7fRUcKX8Pk

 

 

 

 

 

 

子どもがいじめにあった時〜中学生編①

スピ好きゆるりです^_^

 

小学校6年での、いじめをなんとか乗り切り、中学は、かなりのマンモス校で、

妬み、嫉み、諸々ある中で、子どもは大好きな先生に可愛がられながら、

負けないように過ごしていきました。

 

問題が起きたのは中学三年になった時のこと。

高校受験の年です。

小学校のいじめ首謀者の子たちと、同じクラスになりました。

もちろん、担任にも伝えて、考慮してくれることになっていたのですが、、、、

 

修学旅行の際のこと。

個別行動が多くなり、先生の目が届かないことが多かったのです。

 

この時、「死ねよ、ブス」「生きてる価値ねーな」

は、連呼され、それだけならまだしもとして、

線路に無理やり横にされ、

「動くんじゃねーよ、ここで轢かれて死ねばいい」

と高笑い。

押さえつけられ、どれだけ怖かったでしょうか。

電車が来てしまう、その前に慌てて逃げ出す娘を動画で撮影し、晒す。

 

「バーカ、バーカ、死ねばいいのに」

他にもお金を盗まれたり💰

持ち物を奪われたりなどがありました。

 

修学旅行が終わってからは、後をつけられ、

「逃げるなよ、うちら友だちジャーン!

 

今からあの店で、〇〇取ってこいよ〜」

 

という万引きの強要‼️

 

断ると

 

「は?死ねば良いのに。じゃあ見張ってろよ」

 

断ると、暴力が待っているけれども、子どもは決してそれはできない、しない、と言い続け殴られても拒否しました。

 

実際、その子たちは、万引きをし、補導されるわけですが、何故か我が子に罪を着せようとする。

もちろん防犯カメラ等がありますし、近くにいた人の証言もあり、我が子が無実だということはすぐにバレるのですが。

 

持ち物を隠す、捨てる、壊す。

とにかく会えば

「死ねよブス」

「うちら友だち」

と言って腕をつねったり、足蹴りをしたりする。変に知恵が回るので、先生たちの目や同級生の目を掻い潜って行う陰湿ないじめのターゲットになっていきました。

 

子どもは、それでも受験生だし、勉強したいと、学校へ行っていました。

 

日々の話は子どもからも聞いていました。

また、クラスは違うけれども、仲良しの子からも話は聞きました。

 

わたしは、いつでも味方だよ、

学校無理しなくても良いよ、

と言いながら担任にも相談を重ねていました。

 

担任は、

「Aさんがいないと、みんな困るよ!頼りにしてるよ!」

「Aさんは、必要な人なんだよ」

と言い続けてくれましたし、欠席した日は必ず電話をくれたり、家庭訪問等をしてくれたりしました。

 

しかし、身体症状が酷くなり、嘔吐🤮腹痛、食欲不振、喘息発作、体重減少。結構ガッツリ限界が来ていました。

 

我が子の中学で、子どもは不登校(教室に行けない子)の子たちがどう過ごしているのかを知っていましたので、

 

「学校には行きたい。勉強したい。クラスには行きたくない。」と、まずは保健室登校を始めました。

 

続いて、常駐相談員さんと、担当教師、及び週2回カウンセラーさんが来る、不登校ルームへの登校を始めます。

 

その間に担任や、主任、教頭、校長とも話し合いもしました。

スクールカウンセリングも受けました。

 

いじめの事実も証明されました。しかし、いじめ首謀者は、全く反省はしませんし、友だちだから、というばかり。

 

ですから、教室に行けない、怖いわけです。

 

そして。教室に行けない、というだけで、成績は落ちます。どんなに満点をとっても、💯五段階の四しかつけられない、特に実技科目にはそれが顕著でした。5のない通知表は、初めて見ましたし、本人も悔しかったでしょう。

 

いじめている子が教室で授業が受けられて、いじめにあって苦しんでいる子は受けられないんですね。

 

わたしは、まず、子どものメンタルと体調も心配でしたから、スクールカウンセラーさんからも勧められ、

 

役所の教育担当へと、連絡を取ります。

 

そこで状況を説明したところ、

 

児童相談所に相談してください、と言われました

 

児童相談所に連絡を取りました。

ところが担当者が不在である、との話。

別日に連絡を取ったところ

 

「正直、緊急度の高いケースではないので、、、しばらく待つことになります」

 

「お子さんの場合、学校も対応しているし、親御さんとのやり取りも可能で命の危険度はないですもんね」

 

「こちらは虐待とか、緊急度の高いケースが多くて、親御さんが病院に連れていくなり、していただきたいんです。」

 

そうかもしれません。そうですけれども、、、

 

では、そういう子どもの対応をしてくれる病院を教えて欲しい、と話したところ

 

「心の健康窓口(仮名)があるので、そちらにご相談ください」

 

心の健康相談窓口(仮名)に電話をしました。

 

そこで、二軒ほど不登校や、困りごと相談のある病院を紹介されましたが、予約制でした。

 

予約をして、行きました。

 

小児科プラス不登校児相談の病院でした。

 

子どもは泣きながら先生に訴えました。

体の不調のこと、教室に行けないこと、死ねと言われて辛いこと諸々です。

 

先生の言葉

「君はさー、別に学校行かなくても困らないんじゃないの?勉強もできるんでしょ?受験なんかなんとかなるでしょ。

リスカしてるわけでもないしさ。自殺未遂してるわけでもないしさ。何が問題なわけ?

 

お母さんが味方なんだから、それで良いんじゃないの?」

 

「胃が痛い?そんなの、学校いかなきゃ良いじゃん。薬出さないよ??君なんかいいほうさ、あの学校の子たち、よく来るけど、もっと大変な子沢山いるよ!はい、問題なし!」

 

これが、相談した医師の言葉でした😅

 

ある意味すごい先生と出会ってしまったな、と診察後娘と笑ってしまいました。

 

しかし、こういう先生を紹介しているお役所機関も、凄いなと思いました。

 

しかし、これでは困っちゃったな、と言うことになりました。

 

再度、心の健康相談窓口(仮名)に連絡してみました。

 

すると、

「では、法務局に御相談ください」

 

えっ!何故に( °Д°)

 

②へ続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもがいじめにあった時〜小学校編

スピ好きゆるりです(^^)

 

親子揃ってHSP、HSCです(◞‸◟ㆀ)

 

わたしは、育ちが複雑であり、自分の親にいじめのことなどは全く言えませんでした😅

 

ちょっと話そうものなら、

 

「あんたが、悪い!」

 

「あんたに問題がある!」

 

と、受け止めてくれることはなかったので、言えませんでした。

 

その分、我が子には、話しやすい環境を作ること、否定しないで話を聞いてあげること、

味方だよ、守るよ、という姿勢で接してきました。

 

他のHSCのお子さんは分かりませんが、我が子はやはり変わっていることが多かったので、異端扱いされることが多かったです💧

 

それでも。

まぁ、多少のことは、幼いうちは、抱きしめたり、話を聞いてあげたりすることで乗り切れることが多かったように思います。

 

そんなの大したことないよ、うちの子もっと酷かったよ、という方も沢山いるのを承知で、綴っています。

 

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大きな問題が起きたのは小学校6年生の時でした。

 

この時は、担任も含めてのいじめとなり、全く担任はあてになりませんでした。

 

原因も、いじめている子も、全て分かっていたのですが。

担任は見て見ぬふりどころか、無視( ̄▽ ̄;)!!そしていじめを煽る。

 

肉体的な暴力に加え、精神的、物理的暴力、いじめはエスカレートするばかりで、

 

連絡ノートに書いても、個別でお手紙や、学校へ電話をしても全く効果はありませんでした。

 

いじめの首謀者は男子、いわゆる素行の悪い不良で暴力的リーダーでした。

 

毎朝喘息発作を起こしたり、発熱、嘔吐、下痢など、身体症状もでてきたこともあり、また担任は知らぬ存ぜぬでしたから、

 

「学校行かなくていいよ。お家でできることをしようね。」

 

と話して、休ませることにしました。

 

我が子の学校は、欠席の際は電話連絡は受け付けず、書面で連絡することになっていましたので、毎日、状況を書いて、近所の子に持っていってもらいました。

 

2週間程だった時ですかね、担任から猫なで声で電話が来ました。

 

「体調はいかがですかー?」

 

鼻で笑っちゃいますよね。

 

この担任には何を言っても無駄と分かっていました。もともと、校内禁煙なのに、堂々と校庭でタバコを吸うような人でしたし。

 

授業中もTwitterに自撮りを投稿したりと、問題は山積みの先生だったんです。

 

ベテランの年齢でしたが、担任を持たせてもらっておらず、我が子の時に、数年ぶりに担任に復活できた先生でした( ̄◇ ̄;)

 

わたしは、担任に

「健康が第一で、万が一、無理やり登校させたところで、自殺でもされたら困るので、学校には行きません。」

 

と言いました(ง •̀_•́)ง

 

担任は、さすがに困った模様でした。

 

その後、主任の先生に連絡をして、今までの状況をお話したところ。

 

即、家庭訪問に来てくれました!

 

沢山話を聞いてくました。

 

そして、学習意欲がない訳では無いので、夕方、個別に課題や、授業の指導をしにくるということになりました。

 

そんな日が数週間続いた頃でしょうか。

 

子どもを連れ、買い物に行った時。別の先生に会いまして。

 

「自習監督したのに、いじめに気がついてあげられなくてごめんねm(_ _)m

辛いよね。Aちゃんは、お勉強好きなのに、学校嫌いになっちゃったかな??ほんとにごめんね。」

と、子どもに話しかけてくれたんです。

 

本来なら、こうあるべきだと思うのですがね😔

 

主任の先生が、欠席日数があまり増えると、中学にも行きにくくなるから、

 

放課後、学校に1歩だけでいいから足を踏み入れてみない?それで出席になるから。

 

と提案してくれました。

 

放課後誰もいないなら。

という条件のもと、学校へ足を踏み入れる時は、私もきょうだいも同伴でした。子どもはブルブル震えていました。

 

たった一歩、職員玄関に足を踏み入れて、主任先生と挨拶する、それで出席とするという話でした。

 

その頃になると、ほかの先生方にも、我が子の状況は伝わるようになり、職員会議、学年会議等でも問題になりました。

 

校長含めて、謝罪をしたい、という連絡が来ました。

 

それまで担任からは一切謝罪や連絡はありませんでした。

 

子どもは、行きたくない、というので、私は学校へ出向きました。

 

ボイスレコーダーも、持参しました。

 

校長、教頭、教務主任、学年主任、担任と、並び、

話し合いをしました。

 

既に同じクラスの子どもたちからの状況の聞き取りは済んでおり、

正義感のある子たちが、いじめの事実について証言をしてくれていました。

 

担任は、ずっと俯いて座っていました。

 

おそらくは、校長はじめとして、上の先生方から、相当絞られたものと思われます。

 

そして、校長はじめとして、大変申し訳なかったという、謝罪と、今後の我が子への対応策について具体案が出されました。

 

そして、いじめ首謀者たちの親は個別に親子面談もした旨の報告も受けました。

 

今クラス替えは出来ないので、いじめ首謀者たちの監視を強化すること、休み時間にも、補助教員を教室に配置すること、席替えの提案等々。

 

私は黙って聞いていました。そして、学校側の誠意に対して感謝の意を述べました。

 

しかし!何も言わない担任へは、冷静ながらも、今まで言いたかったことを話しました。

 

私「先生は、いじめの事実をご存知でしたね?」

 

担任「はい」

 

私「しかも、先生自らも我が子に対して、お前が悪いなどとも言いましたね?」

 

担任「はい」

 

私「グループワークや給食で1人にされているのもご存知でしたが、それを揶揄する発言もしましたね?」

 

担任「はい」

 

私「校長先生はじめとして、学校側の謝罪は聞きました。

先生からは一切、発言はありませんね。

いじめについての相談をした時も、お宅のお子さんが弱いとか、言われる方に責任がある、とおっしゃったことを、覚えていますか?」

 

担任「はい」

 

私「何も言うことはないのでしょうか?

中学入学前の一年間は大事な時期だと認識しているのですが、たかが、そのくらい、というお考えならば、学校に登校なとさせられません。」

 

担任「ショボーン━━(´・ω・`)━━」

 

私「我が子に落ち度があったとは思えませんが。

学習機会も奪われた経緯についてどのようにお考えでしょう。」

 

担任「:(;゙゚'ω゚'):」

 

私「何も言えないのでしょうか。子どもだから、もう、6年だからと放置ですか。」

 

この時点で、他の先生方からの冷たい視線と、流れる重い空気。

 

私「先生も人の親なら、もしご自分のお子さんがそのような目にあったらどうするおつもりでしょうか?

先生は、お子さんのことになると、常にクレームを欠かさないと、知人から聞いております。(事実です。かなりのモンペとして有名。職場の人が、この先生のお子さんと同級生だったり、クラブチームが同じだったりしたのですが、相当困っていました。)

わたしは、ご相談と言う形でずっと通してきました。モンスターペアレントとお思いなんでしょうか?

教育委員会にも言わずに、先生の対応をずっと待っていたのは、少なくとも、先生には、良心があると思っていたからなんですが。

これでは、校長先生方のお話はありがたいと思えても、安心できません。」

 

担任「本当に、、、本当に申し訳ありませんでしたT_T」

 

ここまでの間は2時間。

 

初めての謝罪の言葉でした。

 

そして、

担任「中学への情報提供も行い、いじめ首謀者と同じクラスにはさせないこと、なども明記します。

欠席理由についても、きちんと説明させて戴きます。

決してAさんに、不利にならないよう、学校側にもチェックしてもらって、スムーズに中学進学ができるように全力を尽くします。

また、わたし個人からも、Aさんには、謝罪させていただきたいです。

本当に、申し訳ありませんでした」

 

ここまで言ってやっと、その言葉が出ました。

 

゚+o。◈。o+゚+o。◈。o+゚+o。◈。o+゚+o。◈。o+゚+o。◈。o+゚+o。◈。o+゚+o。◈。o+゚+o。◈。o+

 

子どもには、ボイスレコーダーを聴かせましたが、それでも怖い、信じられない、といい続けていました。

 

いきなり教室、というのは難しいので、徐々に、放課後図書室で勉強という形を取りました。

 

数日経ってから、担任が図書室へ、やってきました。

 

我が子は固まって、わたしを掴んできました。

 

「Aさん。先生が本当に悪かったです。ごめんなさい。謝って済むことではないけれども、他の先生方も協力して、Aさんに辛い思いはさせないようにするので、教室に来られる日を待っています。」

 

しかし、我が子はそんな言葉は信じませんでした。信じられるわけがないです。

 

学校側としては、できる限りの対応をしてくれました。

補助の教師が休み時間につくだけではなく、

校長自らを含め、担任の授業は全て監視となりました。(ちなみに、翌年からは、担任をずっと外されることとなりました)

 

最初は1時間だけ登校する。

通学には、教室まで付き添う、授業中は、教室の外で待つ、などを続けました。

 

職場には迷惑をかけましたが、ナースの代わりはいくらでもいます。

 

母親の代わりはいないんです。

 

結果的に、些細なことはありつつも、無事に小学校卒業となったのでした。

 

もちろん、長期にわたって、所謂不登校だったのですが、

良心ある子どもたちは、本当に自ら心からの謝罪の手紙をくれたり、

直接的に謝罪に来てくれたりしました。

 

首謀者は、先生に言われたのでしょうね。

原稿用紙に

「もうしませんから、学校に来てください」

というような稚拙な手紙を先生経由で渡されました。

 

文面から本気度は全く見当たりませんでした。

 

が、自ら手紙を書いた子たちは、真実が書いてあり、ついふざけたつもりが、どんどんエスカレートしてしまった。

今後は、Aさんを守る立場になるから、というような内容もありました。

 

事実、良心的な子どもたちが大半で、登校を始めた時から、きちんと対応してくれたそうです。

 

クレーマーじゃん!と思う方がいるかもしれませんが、我が子を守るためならば、闘わなくてはならない時があるのです。

 

卒業式では、きっと一番泣いていた我が子。

 

卒業証書授与式で、校長先生からは一番長く声をかけていただきました。

 

また、歴代お世話になった担任の先生たちは、涙を流して🥲

Aちゃん、頑張ったね!とハグしてくれました。

 

✽・:..。o¢o。..:・✽・:..。o¢o。..:・✽・:..。o¢o。..:・✽・:..。o¢o。..:・✽・:..。o¢o。..:・✽・:..。o¢o。..:・

 

我が子は、HSPで、感受性も想像力も豊かなので、

たくさん表彰されたり、独自の学習ノートなどを作って、自学自習をし、それまでの先生にはいつも褒められていました。

 

もちろん、悪戯もして叱られることはあっても、そこそこ楽しく過ごしていました。

 

あのね、ママ!!今日ね!という良い話も嫌な話も、聞いてきました。

忙しいから後にして、ということは極力言わずに、共感したり、傾聴したり、笑ったり、特定ではあるけれども、お友だちがうちに来たり、一緒に遊びに行ったりしたものでした。

 

小学校6年生の1年間が、とても大変だったことを除いては、良い時代だったんだろうと思います。

 

卒業文集の、担任の写真を塗りつぶしたい、と言っていますが、その気持ちもよくわかります。

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いじめにあったら。

 

本人の話を聞いて、なおかつ、周りの客観的な話も聞いて、否定しないこと。

 

相談者を持つこと。いきなり教育委員会に乗り込むのはNGかな、とわたしは思います。

 

子どもには、あなたを全力で守るよという姿勢を貫くこと。

 

親も相当覚悟が必要です。ただし、子どもの話を鵜呑みにしすぎることはしないで、客観的意見も聞くことも重要です。

それこそモンスターペアレントですからね。

 

子どもには、学校に行かないという選択肢もあるんだということ、

命や健康には変えられないということ。

 

これは、自分がHSPで、我が子の気持ちもよくわかったから、ということもあります。

 

子どもは必ずSOSを出しますから、どうか、見逃さないようにしましょう。

 

まず担任→学年主任→教務主任や、カウンセラー、保健の先生→教頭→校長

 

という流れで話を持っていくのが良いかと思います。

もちろん、学校自体信頼ならないだ!という場合は、教育委員会もありかとは思いますが。

 

長文で申し訳ありません💦

 

万一いじめに悩んでいる親御さんがいたなら、何か参考になれば幸いです

 

f:id:YururinGo1111:20210224220913j:image

 

https://youtu.be/wQphe9JXuQg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大切な人たちとの別離あれこれ

スピ好きゆるりです^_^

 

以前に記事に上げましたが、わたしは複雑な育ちをしています。

もっと大変な人たちがいるのは承知しています。

 

実母も、そうなんです。

一歳頃に、伯母が育てることとなり、実の親兄弟のことは知らずに、裕福に育ちます。

 

伯母のことを実の母と思って小学校一年生までを過ごすのです。

 

ところが、推測ですが、実の両親のところでもきょうだいが多く、人手が欲しかったのでしょう。

突然に、裕福な伯母の家庭から、実の親兄弟のところへと戻されます。

伯母の家ではいつも白米、おかずもあり、一人っ子として育っていたのに、実の親兄弟のところは狭くて、ご飯🍚が食べられなかったそうです。

近所の子守をしたり、ゴミ拾い、諸々をやって小銭稼ぎをしたとか。

☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆

 

そして、育ての父。

育ての父は実の父を知りません。戦死したそうですが、帰ってきたのは南方の砂だけ。

 

子供も抱えた未亡人が戦後暮らせるわけがなく、再婚するのですが、

再婚相手と養子縁組はせず、同じ家で一人苗字が違う育ての父。

もちろんうまくいくはずはなく、家から出ていき自立していったそうです。

 

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つまり、二人ともに、実の親と一緒に暮らしていない時期があったり、

他人に育てられたりしているのです。

 

その二人が再婚する。

 

そして、育ての父は、実子でないわたしと養子縁組をして、育てることとなります。

 

わたし自身は、母を育てた伯母に育てられた時期があり、両親とは暮らしていません。

 

こうしてみると。

 

みんな何かしら繋がっている気がします。

 

恩返し、なんでしょうか。

 

実の親でない人に育てられたら、実の子ではない子を育てたり。

 

そんなふうに回るのでしょうか。

 

わたしは、そんな気がしてなりません。

 

どこかでそれは断ち切れるのでしょうか。どんな意味があるのかなと、つい考えてしまいます。

恩返し以上の、もっと深いものがあるのかな、とも思います。

 

そして。

 

そう言う大事な人たちに限って、早く逝去している気がします。

 

親友も亡くなりました。大事な大事な親友でした。

 

先日初めて夢に出てきてくれました。

私のこと心配してるのかな??

 

*:..。oƒ *:..。oƒ *:..。oƒ *:..。oƒ *:..。oƒ*:..。oƒ *:..。oƒ *:..。oƒ *:..。oƒ *:..。oƒ

 

育ての父は寡黙な人でした。遺影は部屋にも置いてあります。

まだまだ実感はないです。わたしの心の中では生きているんですよね。

 

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実の父は、ほんとに突然のことで、知らせが来て高速を使って病院へ向かいました。

 

再婚相手の方が、人口呼吸器をつけた実の父に

「ゆるりちゃんがきてくれたのよ」といった途端に、

実の父は全く意識はありませんでしたが、涙を流したのです。

 

聴覚は最後まであるといいますが、わかってくれたのかなと思います。

 

.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+

 

 

大事な人を亡くす、この喪失感は、何度経験しても慣れることはない。

 

それでも良く人はいいます。

 

その人の分まで生きなきゃねって。

 

わたしは未熟だから、それはできませんが、尊敬することだけは忘れません。

 

言えなかったありがとうも、恩返しも、たくさんたくさんあります。

 

そして時々この歌を思い出します。

 

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https://youtu.be/yqzCwcL9xDc

 

歌には力がありますね。

 

取り留めない話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

222が過ぎてのわたしの変化

スピ好きゆるりです^_^

 

デトックス期間中も変わりませんし、友人たちにも心配かけています(´;ω;`)

 

2/22ゾロ目の日でした。

エンジェルナンバーで言えば、意味のある日です。

 

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エンジェルナンバー「222」の意味は「心配や不安は手放してください。 あなたの想像通りに全てうまくいく事を信じてください。 そして今あなたがしている事をこのままし続けてください。」 とあなたに伝えてくれているエンジェルメッセージです。

 

友人に勧められ、吉報位へ向かったり。父親に手をたむけたりして。

 

それこら、ずっと気になっていたこと、なかなか、できなかったことのために心を向けてみました。

 

結果として、瞑想時間は長く、その間たくさんのことを考えました。

そうしたら、なんだ、心配しなくても良かったんだな、と思うことがありました。

 

それによって意識が変わった気がします。

 

それまでは、ずーっとモヤモヤしていたことが、23日起きてみたらわたしは一体何を悩んでいたんだろうか、どうにもならないことはどうにもならないんだよな、と思うようになりました。

 

このままやっていくしかないんだ、変わりようがないんだから、時間に身を任せるしかないんだなと、もがく気持ちが消えていく気がしました。

 

心配ごとは一つづつ、解消するしかないんですね。

 

2/22には、その心配事の一つの打開策が見えました。

 

ちょっとでも楽になったら良いなと思っています。

 

 

やっと泣けた

スピ好きゆるりです^_^

 

元気そうにしてますがかなり落ち込んでいます。

浮上しきれません_:(´ཀ`」 ∠):

 

わたしは、感情を隠して生きてきたので、辛いとか、助けてとか、誰かに頼るのはとても苦手。

そして、溜め込みます。記憶も忘れられないから、胸がギュッと締め付けられます。

 

嫌なことや悲しいことが消しゴムで消せたらいいのに、、、

 

ずっとずっと泣かなかったんです。

悲しいのに辛いのに泣かなかった。

 

でも、つい最近やっと泣けました。

車を運転しながらポロポロ泣きました😭

 

我慢は一番良くないですね。

 

過去のことは仕方ないじゃん!これからのこと考えよと言われても

 

過去があって今がある。

 

最近のことなら尚更。喪失感や、孤独な気持ち。誰にも必要とされてない気持ち。

 

でも。

泣いたら、感情が戻ってきています。

 

悲しかったら泣いていいんだ。

悔しかっら泣いてもいいんだ。

 

嬉しかったら笑えばいいんだ。

 

誰に遠慮することもない自分の気持ち。

 

友人に、LINEで打ち明けている間も涙が出ました。

 

いい傾向ですね。

 

そして。昨日はとても良い天気でした。ふと聞こえてきた歌。

 

今は亡き坂本九さんの

 

上を向いて歩こう

 

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上を向いて歩こう、涙がこぼれないように、、、

 

 

ジーン😭

 

まだそこまでには至りませんけれども。

 

わたしは、坂本九さんが、最後に作った歌が大好きです。

 

心の瞳

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https://youtu.be/ro0Hu6-WRfQ

 

 

 

人との別れや、死別は本当に辛いものです。

 

ここしばらく音楽も聴けなかったけれど。

もともとテレビも見ない方ですが。

 

歌は良いですね。

 

昨日カラオケバトルをやっていましたが、モー娘。が、恩師つんくさんの、シングルベッドを歌っていてジーン😭

 

ああ、感情が動いてきた。

 

友人にたくさん聞いてもらっていつも感謝です。

明日は東が吉報位。

 

育ての父のお寺は東にあります。生き急いで早く亡くなってしまった育ての父ですが、お参りしてこようと思います。

 

思い切り泣いて、デトックスしたいです。

 

実の父も早くに急逝していますから、わたしには父の縁がないのかもしれませんね。

 

お父さん、毎日面会して、たくさんお世話できてよかった。足りなかったけど。

ちゃんとおしものお世話も、

「待ってた」笑

 

あなたの強さをわたしにも分けてください。

 

どんなに辛くても苦しいとか一言も言わず。

 

俺はラッキーだ。、良い先生に恵まれている。

 

良い娘がいる。俺の娘も看護師なんだって、自慢してる!と言っていました。嘘じゃないから。って。

 

わたしは今でも。ナースなのに。

 

もっと早くに、気づいてあげられなかったことを、悔やんでも悔やみきれません。

 

育ての父は、実母よりも、支えになっていたんですね。子供の世話や、遠足も行ってくれました。

しかったりしなかったけれど。

わたしが教えられないことを、教えてくれたおじいちゃんとして、子供達の記憶にはずっと残るでしょう。60代で亡くなるとは思っていなかったので。

 

働き者で寡黙な育ての父は、、不器用だったんだと思いますが。わたしの子供たちにとってはほんとうの祖父として可愛がってくれました。

 

複雑な育ちの父ですが、最後はみんなで看取って。

娘には聞こえたそうです。じゃあバイバイ、いくねって。

 

お父さん、、ありがとう😊

 

実の父の命日も近いので、まだまだセンチメンタル時間は続きます。

 

父の写真は笑顔でわたしの部屋で見守ってくれています♪

 

取り留めないですが。

 

友人にはこの歌を送りたいです。

そのままの君で

 

娘が先輩に弾いて、先輩ママたちは号泣したそうです 。

 

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https://youtu.be/NOtJxX40lr4

 

取り留めなくごめんなさい。