HSCのわたしへの対応②
スピ好きゆるりです。
前回書いたことは、わたしにはとても気が楽な時期でした。
買い物やおばあちゃんが病院に行く時、ゆっくりと散策するのですが、都会にありながらそこは、ゆったりとした緑の多い場所でした。
静かな道を歩きながら、おばあちゃんのする話はわたしを認める言葉が多かったです。
ゆるりは、手先が器用だね(^^)
もう、難しい本が読めるのはあんたの歳では珍しいよ。
本は買って読め、家は借りて住め、と言うくらい、知識は武器になる。誰にも奪われない財産だよ。
1人で遊べるのは偉いよ、おばあちゃんはびっくりだよ。
音や服が嫌なのは、ゆるりが感受性豊かだからだよ。きっと、合うものがあるからね。
受け入れてくれる人がいる、否定しないでくれる。
それまでの4年間はどうしてできないの?なんで嫌なの?
みんなと仲良くしなさい!
と言われることが毎日。
そして、いつも頭の中がザワザワしてうるさくて。
耳を塞ぎたくなる日々でした。
ですから、とっても楽だったんです。
居場所もある、いても良いんだってことはよく分かりました。
親と暮らせなくても、いつも不機嫌でわたしに対して困る親よりも
おばあちゃんの存在が、この時期のわたしを救ってくれたんだと思います。
音に敏感だった、とはいえ歌が嫌い、とかそう言うわけではありませんでした。
聞くとすぐに覚えます。
誰にも習っていなくても、当時小さな鍵盤を両手弾きして、おばあちゃんに驚かれました。聞いた歌をそのままに、拙いけれども童謡など弾いていました。
うるさがらずに聞いてくれましたね。それを母親には手紙などで伝えていたようです。
あとは、空想も好きでした。幼児雑誌ではなくて、コミックスなどを好んで読んでいて、バレエに憧れたのもこの頃です。
空想がどんどん広がりました。
ものすごく体は柔軟だったので、1人で真似っこしたりしていました。
それを見ていたおばあちゃんは、なんでも偉いねぇ、ゆるりは頑張り屋さんだねといつも言ってくれました。
人と比べられないこと、自分を認めてくれること、これだけでそれまでの辛さとは離れた生活を送ることができました。
認めてくれること、受け入れてくれること。
一番大事なことをしてくれたのがおばあちゃんだったのです。